Sunday, October 31, 2010

「感謝すべきは誰か」を問う

蓮舫さん、2位じゃダメです...中国スパコン1位

「2位じゃダメなんですか?」なんていう、「ゆとり政治」をやっている間に中国が、アメリカをも飛び越えてスーパーコンピューターの演算能力で、初めて世界一位を達成する見込みとなった。日本は、最高で22位。2002年の首位が全く意味を持たないほどの、科学立国を標榜する国の体たらくだ。

ノーベル化学賞を受賞した鈴木章・北海道大学名誉教授は「科学や技術を阻害する様な要因を政治家が作るのは絶対にだめで、日本のクビを絞めることになる。1番になろうとしてもなかなかなれないということを、政治家の人たちも理解してほしい」と言い、「研究は1番でないといけない。“2位ではどうか”などというのは愚問。この様なことを言う人は科学や技術を全く知らない人だ」と批判している。

なぜ、一番でなければいけないのか?売れないからである。功績として認められないからである。世界がその技術を必要としたときに、必要とされるのは一番の技術である。引用される論文も、一番に出された(時間)、一番の論文(質)である。だから、日々、研究者は一分一秒を争って、論文を執筆し、研究の質を高めているのである。

ただ、日本の政治家は科学者の競争など、日常生活には関係ないと思っているようである。あなたもそう思っていないだろうか。


昨日、研究所の前ディレクター・ハンター教授に夕食に招待された。彼の奥さんが日本人であることもあって、こちらに来てから懇意にさせていただいている。ハンター教授とは、お互い気が合い、いつも二人だけで軽く数時間は話し込んでしまう。昨日も、例に漏れず、幅広い話題での話になった。食料問題に話が及んだときに、私がいつも思うわだかまりを彼と共有した。

「いつも、思うんです。今日、何人の人たちが、食事をするときに百姓に感謝したかと。神に感謝するのは自由です。ただ、この米粒一つに対して、百姓に感謝する前に、神に感謝するのはやはりおかしい。」

私の意見を聞いて、ハンター先生は大きくうなずきながら、こうおっしゃった。

「チリの落盤事故のとき、穏やかな気分ではなかったよ。救われる人、救われる人みんなが、神に感謝するんだ。あの脱出カプセルを作ったエンジニアに感謝の一言さえ無いんだよ。」

私も、大きくうなずいた。

貴方の目の前にあるコンピューターのねじ一つとっても、エンジニアの努力の結晶である。貴方が今朝こぼした牛乳の一滴も、農家の人々の汗と涙である。貴方が現在ある程度の教養が得られたのは、現場の教育者たちの血のにじむ様な奮励のたまものである。

「他人の努力の恩恵をうけるのであれば、感謝する責任を放棄してはいけない」

そう言った私に、ハンター先生は深くうなずいてくれた。

Saturday, October 30, 2010

道具は適切に、野心は斬新に

日本人の米国留学 10年で4割減の理由

留学について最終回。初回と似た様な記事のリンクからで申し訳ないが、もうすこしことの背景が必要だったので、引っ張ってきた



1998年以降、日本人留学生の総数は8万人前後で推移しているという。しかし、米国への留学者数は1999年の4万6000人から、10年で2万9000人と4割減少をしている。つまり、他の国に流れている訳だ。中国、韓国、インド、など新興留学国への増加がその穴を埋めている。英語圏で言えば、熱心な留学生誘致をするオーストラリアをはじめ、カナダ、ニュージーランド、イギリスで数が伸びているとのことだ。



どうやら、日本人の留学は基本的に自分でお金を払うということが基本のようだ。懐次第で、高い米国をやめて、安い他の英語圏に行こうというわけだ。そして、どうやら留学生大半の目的は、教育の質や何をどこでどう学ぶかではなく、英語を初めとする語学の習得らしい。



未だに、「英語を習得すれば人生バラ色」という幻想は生き残っているようだ。ただ、残念なことに、多くの英語圏留学生がキャンパスライフを楽しみすぎて、英語もそこそこのまま、外国で学位を取ったという箔だけで、日本で生きていけると思っている。そんなのんびりは通じない。彼らのニッチを争うものは、英語ができる日本人だけではなく、日本語ができる英語話者もいるのだ。アメリカに来てみると分かる。アメリカの片田舎の街でも、日本のアニメやドラマを通して、フォーマルな日本語教育を受けたことが無いのにも関わらず、普通に日本語を話す高校生がいることを。そんな彼らが、専門性を身につけて、臆すること無く日本に来たら、前述の日本人学生たちは全部食われてしまう。仮に英語習得が目的であっても徹底しなければならない。そして、例えば、ネイティブの前に立って、プレゼンをさらっとこなせてこそ、その英語という道具が武器になる。それに自分のオリジナル考えが伴って、初めて戦えるのだ。



野心を満たすために、今いる環境が十分だろうか?この教育システムが最善か?まだ、自分に見えてないものを見る必要があるのではないか?今直面している文化的制約が自分の足を決定的にひっぱるのではないか?様々な問いを自分自身に投げかけて、まずは自分の野心をえぐり出す。



その上で留学が良い選択となったら、限りになく自分で出費をせずに留学する方法を考える(大学院生は給料をもらいながら働く訳だから、これは当然のステップ)。数は少なくとも、留学生のための奨学金や交換留学制度は地方自治体に転がっている。片っ端から、応募していくとよい。いくつも留学志望書を書き、合格と不合格を繰り返す。その度に、自分に留学が本当に必要かという問いに対する自分の答えがよりはっきりしてくる。そして、その成功と失敗の中で、具体的に何が必要か、つまり自分の野心を満たすための道具がはっきりしてくる。そうやっていくうちに、勉強が学問に昇華する瞬間を迎える。野心はより具体的になり、道具は磨かれ、臨戦態勢が整う。後は、機会を虎視眈々と狙い、戦うだけだ。



学問は攻めである。



留学は、日本で行き詰まっている自分を救う道具では決してない。そんな動機では、理想は彼の地に足を一歩踏み入れた瞬間に脆くも崩れさる。アメリカに来て行き詰まったら、アメリカを批判するようになるだけだ。完璧な場所など無い。



自分の留学の理由に耳障りの良いストーリーを考えないことも重要だ。「アメリカに行き、すばらしい教育システムの中で学び、帰国後に、日本でビジネスを展開し大成功する」なんて、幻想は多いに結構だが、自分を縛るだけだ。アメリカに来たら、そこで何ができるかを考えるべきだ。故郷に錦を飾る必要は無いのだ。違う環境にいれば、違う考えが生まれる。野心や理想も、目がくらむほどのスピードで変わっていったりもする。その国こそが自分の住むべき場所だと思うかもしれない。日本では想像できなかった様な、全く違う考え方の人間たちとも出会う。その異文化に身を埋めてしまいたくなるほどの心地よさを感じるかもしれない。そうやって、様々な異なる考えを自分の心に叩き付けることによって、次第に自分の考えがシェイプアップされる。そして自分という輪郭が浮き上がってくる。これが、留学というイベントで戦った人間が得られる一番の報酬かもしれない。そして、これは、自分のブランド化に無くてはならないプロセスだ。



日本の若者は大変だ。大人たちは早々と自分たちの世代に見切りを付けて、子供たちに夢と理想と負債を押し付ける。そうやって育った若者たちは、斜に構え、ものごとを早々に見切って、どうせこんなもんだろう、という行動を繰り返す。そんなダウンスパイラルは長らく続いてきた。夢を持たない大人たちに架された夢なんて、くそくらえだ。そんなものに縛られないで良いんだよ。ただ、多かれ、少なかれ、日本の若者はそのダウンスパイラルに押し込まれ、様々なものを刷り込まれてしまった。私が未だ多くの刷り込みに引きずられているように、それを完全に取り除くのは容易ではない。しかし、異文化は、異なる考えを放り込むことで、刷り込まれ凝り固まった考えを、ほぐし、クレンジングしてくれる。だから、一人でも多くの若者に、自分で考え、自分で日本の外へ出ろと言いたい。



留学について、最終回。予想以上の駄文。お付き合いありがとうございました。

Friday, October 29, 2010

政治を肴に酒を飲もう

あと二回、留学というテーマで書こうと思う。

システムについて、私の実体験から、対照的な例を紹介したい。。

私の職場である州立農業試験場は、教授・スタッフ・学生をあわせて三百人の規模の研究所である。アジア人はというと(アジア系アメリカ人を除く)、教授1人(中国人)、シニアリサーチャー2人(中国人と韓国人)、ポスドク7人(中国人)、学生4人(中国人3人と韓国人1人と私)、常時5人程度のvisiting scholars(ほぼ全て中国人)。それから、技官に2人いるが、それぞれシニアリサーチャーの韓国人と私の配偶者である。中国は日本の10倍の人口がいるのだから当たり前だと言う、世間知らずな日本人学生は未だに多い。今年8月に、中国のGDP(国内総生産)が日本を抜いて、世界第二位の経済大国になったことは大きなニュースになった。しかし、GNI(国民総所得)は、日本の$37,870(2009)に対し、$3590と十分の一にも満たない(The World Bank 2009年のデータより)。その中国人が、GNI$47,240のアメリカに来るということがどんなに大変なことだろう。ほぼどんな国に行くにも、観光ビザを免除され、パスポートと航空券片手に行ける日本人には、なかなか想像がつかないかもしれない。この所得格差を乗り越えて、中国人の科学者たちが多数アメリカに来れる理由とはなんだろう。それは、中国政府のサポートによるものだ。

九月に、一年の滞在を終えて帰国した、私の所属する研究室にいた中国人学生との会話に愕然とした。過去2年ほど、それまでに増して、中国からの学生や科学者をみかけることが、この試験場でも、それからメインの大学のキャンパスでも増えていた。ふと、彼にその理由を質問した。

「最近、中国人の学生、とくにvisitingで来ている学生が増えているよね。何か制度でもあるの?」

「中国政府のファンディングサポートによるものだよ。農学系の学生だけで、年間5000人を主に米国・ヨーロッパに派遣している。」

「5,000人?!」

彼の英語があまり上手ではなかったので、思わず聞き返してしまったが、他の学生に聞いても5000人という。

少し古いデータだが、日本の大学院生数が24万人(文部科学省まとめ 2004年度)で、その内、農学系が全体のおよそ5%、約12,000人だ。つまり、農学を学んでいる大学院生の約半数をアメリカやヨーロッパの一流大学に送るだけの投資を中国はしている訳である。学費の安い日本と違って、アメリカの大学は寮費を含めて年間$50,000かかる場所も珍しくはない。単純計算で、$250,000,000(250億円、100円/1$換算)の予算を組んでいると言っても良い。

つまり、それだけ、これからあの大国を支えていくのには、優秀な人材を育てるということが最重要課題だということを国が認識し、そのための投資を惜しんでいないのである。この250億円の投資は、何兆円、何十兆円の価値を持って、派遣された学生により還元されていくであろう。大中小様々な公的留学制度をつぶし、仕分けという名の下、日本の学術の足を引っ張ろうとする日本とは大違いだ。自らを成熟した国だと思っているのだろうか?「留学したければご勝手に。ただ、自分で全部やってくださいね。教育なら日本にもあるんだから。」と言わんばかりの国である。政治家たちは、小学生の喧嘩の様な国会答弁をやる前に、アメリカのPresidential debateでも見て少しは勉強をするべきだ(この前のニューヨーク州知事選の候補者のディベートは大したコメディだったが)。

そんな日本の仕分けに引っかからない、僕がとある所で経験した不思議な制度を紹介しよう

とある省から、毎年一人のお役人様が派遣されてくる。留学意欲の全く無い人々で埋め尽くされたそのオフィスから派遣されてくる人は、まるで貧乏くじを引いた様な顔で来て、一年を過ごす。研究という名目で来ているが、英語は全くダメで、論文として研究を発表する義務など無い。中には実験をする人もいたようだが、基本的には一年間遊びにくるのである。そのプログラムにはいると、現地の生活費としてお金が支給される。いくら支給されるか予想していただきたい。

1200万円

である。これに、日本での基本給も支給され続ける。派遣先にある寮に月々$250で滞在できるので、人生最大のボーナスを頂くことになる。無論これは日本国民の税金から支払われている。このお金を有効活用できれば、留学意欲に満ちているが金銭的理由であきらめる、何人の優秀な日本人学生をアメリカに留学させることができるだろう。

パデュー大学で出会ったスウェーデン人の友人を訪ねストックホルムに行ったのは、2004年の春だった。ヨーロッパ自体が初めてだった私は、どんな毎日になるか想像がつかなかった。酒を飲んで、遊んでの毎日だったと言っても、大差ないのだが、飲んでいる間の話のネタが、政治・経済・社会保障である。「スウェーデンはこうだが、日本はどうだ?」「今、スウェーデンでこういう法案が議論されているが、マサはどう思う?」こんな会話が延々と続く、ヘビーな飲み会だった。幸い、私はそういう話が好きだったので、大いに楽しんだが、やはり衝撃だった。こういう意識の差が、世界有数の福祉国家を作っているんだと、思い知らされた気がした。

日本の学生に、政治なんて、どうでも良いなんて、思ってほしくない。日本の政治が退屈だったら外に出れば良い。「世界の政治を見に行く」そんな素敵な留学の動機も良いと思う。

Thursday, October 28, 2010

これは実感


これは実感だ。

色々な理由があるだろうが、日本には留学を推進するシステムが整っていないという理由もあるだろう。留学の道を自分で開拓しようという学生でなければ、かなり無理がある。私が学部生のときに留学したときよりもだいぶ制度は変わっているだろうが、それでも学生が外へ出て行かないということは、システムの問題があるのではないだろうか。

約10年前にパデュー大学に留学したときのこと。私の母校は国立の農業大学で、その学生の大半が地方出身者で、留学を口にする学生は皆無だった。私は入学初日に、教務係と教務担当教授(留学科は存在していなかった)と話し、米国にある姉妹校と、存在する留学プログラム、留学の時間を確保するために卒論を書かずに卒業するにはどうすればいいのかを聞き出した。もちろん、彼らが知らないことの方が多かったが、概要はつかめた。3年前期(5学期)までに卒業単位を終わらせれば、卒論が免除されるということだったので、私の2年半の授業取得計画は決まった。あとは、その間にキャンパスライフを楽しみつつ、長期休暇に米国の語学学校に行って英語を磨く計画を立てるだけだった。前者は、簡単だ。消去法的に空いた時間に好きなだけ遊べば良い。後者は、お金の工面が必要なので、バイトを探した。大学まで、自宅から30分かけて自転車で通っていたので、その通り道もしくは自宅でできることとなる。結果、午前6時から8時まで、通学途中にあるファーストフード店で資材搬入の仕事を行い、それから午後6時まで授業を5コマすべてとり、放課後は家庭教師の仕事をした。長期休暇はそうやってためたお金で、ボストンやサンフランシスコの語学学校ですごして、留学の準備を進めた。今、思ってもタフな毎日だった。アメリカの大学に行くのだから、GPAをないがしろにはできない。つまり、オールAを狙う必要があったからだ。そこまで理想的には行かないのが現実だが、3.9程度はあった。この0.1が私のつめの甘さだ。

さぁ、留学するという段になって、今までに誰も留学制度を利用したことが無いということが明らかになった。国立の農業大学としては知らぬものがいない場所で、「未だかつて誰も...」というのはやはり衝撃ではあった。過去2年間、1ヶ月の体験交換留学という形で夏に数人を送り出していたが、長期は初めて。ふたを開けてみたら、そこに制度は存在しなかった。

無いなら作れば良い。

私は、留学の理由、なぜ私を留学させる価値があるのかを述べ、短期の枠のほとんどを自分に使って長期枠とするという提案をして、結果、制度を作り上げた。当初、米国のschool year8月から5月の留学しか許可が下りなかったが、計算のうちであった。留学して、案の定、英語は太刀打ちできずにいたが、授業は分からなくても試験で点数は取れる。私は、Honorといわれる成績優秀者の表彰を受け取り、日本の大学に手紙を書いた。そして、六月以降の夏学期と秋学期の終わりまで、計18ヶ月の米国大学への留学を、日本の国立大学への学費(当時年間約50万円)で成し遂げた

という、自慢話。

現在の学生に、ここまで何から何まで自分でする必要は無いだろう。ただ、自分のゴールを設定して、その達成のための階段を真摯に上り続ければ、大概のことは可能である。もしも、日本の学生が、その努力を惜しむ故に、様々な情報を得るだけで、実際に日本の外を見てみようと思わないのであれば、こう言いたい。

"I only know that I know nothing"

と。