留学について最終回。初回と似た様な記事のリンクからで申し訳ないが、もうすこしことの背景が必要だったので、引っ張ってきた
1998年以降、日本人留学生の総数は8万人前後で推移しているという。しかし、米国への留学者数は1999年の4万6000人から、10年で2万9000人と4割減少をしている。つまり、他の国に流れている訳だ。中国、韓国、インド、など新興留学国への増加がその穴を埋めている。英語圏で言えば、熱心な留学生誘致をするオーストラリアをはじめ、カナダ、ニュージーランド、イギリスで数が伸びているとのことだ。
どうやら、日本人の留学は基本的に自分でお金を払うということが基本のようだ。懐次第で、高い米国をやめて、安い他の英語圏に行こうというわけだ。そして、どうやら留学生大半の目的は、教育の質や何をどこでどう学ぶかではなく、英語を初めとする語学の習得らしい。
未だに、「英語を習得すれば人生バラ色」という幻想は生き残っているようだ。ただ、残念なことに、多くの英語圏留学生がキャンパスライフを楽しみすぎて、英語もそこそこのまま、外国で学位を取ったという箔だけで、日本で生きていけると思っている。そんなのんびりは通じない。彼らのニッチを争うものは、英語ができる日本人だけではなく、日本語ができる英語話者もいるのだ。アメリカに来てみると分かる。アメリカの片田舎の街でも、日本のアニメやドラマを通して、フォーマルな日本語教育を受けたことが無いのにも関わらず、普通に日本語を話す高校生がいることを。そんな彼らが、専門性を身につけて、臆すること無く日本に来たら、前述の日本人学生たちは全部食われてしまう。仮に英語習得が目的であっても徹底しなければならない。そして、例えば、ネイティブの前に立って、プレゼンをさらっとこなせてこそ、その英語という道具が武器になる。それに自分のオリジナル考えが伴って、初めて戦えるのだ。
野心を満たすために、今いる環境が十分だろうか?この教育システムが最善か?まだ、自分に見えてないものを見る必要があるのではないか?今直面している文化的制約が自分の足を決定的にひっぱるのではないか?様々な問いを自分自身に投げかけて、まずは自分の野心をえぐり出す。
その上で留学が良い選択となったら、限りになく自分で出費をせずに留学する方法を考える(大学院生は給料をもらいながら働く訳だから、これは当然のステップ)。数は少なくとも、留学生のための奨学金や交換留学制度は地方自治体に転がっている。片っ端から、応募していくとよい。いくつも留学志望書を書き、合格と不合格を繰り返す。その度に、自分に留学が本当に必要かという問いに対する自分の答えがよりはっきりしてくる。そして、その成功と失敗の中で、具体的に何が必要か、つまり自分の野心を満たすための道具がはっきりしてくる。そうやっていくうちに、勉強が学問に昇華する瞬間を迎える。野心はより具体的になり、道具は磨かれ、臨戦態勢が整う。後は、機会を虎視眈々と狙い、戦うだけだ。
学問は攻めである。
留学は、日本で行き詰まっている自分を救う道具では決してない。そんな動機では、理想は彼の地に足を一歩踏み入れた瞬間に脆くも崩れさる。アメリカに来て行き詰まったら、アメリカを批判するようになるだけだ。完璧な場所など無い。
自分の留学の理由に耳障りの良いストーリーを考えないことも重要だ。「アメリカに行き、すばらしい教育システムの中で学び、帰国後に、日本でビジネスを展開し大成功する」なんて、幻想は多いに結構だが、自分を縛るだけだ。アメリカに来たら、そこで何ができるかを考えるべきだ。故郷に錦を飾る必要は無いのだ。違う環境にいれば、違う考えが生まれる。野心や理想も、目がくらむほどのスピードで変わっていったりもする。その国こそが自分の住むべき場所だと思うかもしれない。日本では想像できなかった様な、全く違う考え方の人間たちとも出会う。その異文化に身を埋めてしまいたくなるほどの心地よさを感じるかもしれない。そうやって、様々な異なる考えを自分の心に叩き付けることによって、次第に自分の考えがシェイプアップされる。そして自分という輪郭が浮き上がってくる。これが、留学というイベントで戦った人間が得られる一番の報酬かもしれない。そして、これは、自分のブランド化に無くてはならないプロセスだ。
日本の若者は大変だ。大人たちは早々と自分たちの世代に見切りを付けて、子供たちに夢と理想と負債を押し付ける。そうやって育った若者たちは、斜に構え、ものごとを早々に見切って、どうせこんなもんだろう、という行動を繰り返す。そんなダウンスパイラルは長らく続いてきた。夢を持たない大人たちに架された夢なんて、くそくらえだ。そんなものに縛られないで良いんだよ。ただ、多かれ、少なかれ、日本の若者はそのダウンスパイラルに押し込まれ、様々なものを刷り込まれてしまった。私が未だ多くの刷り込みに引きずられているように、それを完全に取り除くのは容易ではない。しかし、異文化は、異なる考えを放り込むことで、刷り込まれ凝り固まった考えを、ほぐし、クレンジングしてくれる。だから、一人でも多くの若者に、自分で考え、自分で日本の外へ出ろと言いたい。
留学について、最終回。予想以上の駄文。お付き合いありがとうございました。
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